先日のニュースに、
小説「カモメのジョナサン」を書いた
リチャード・バック氏が、自身で操縦する飛行機で
墜落する事故があったと出ていた。

「カモメのジョナサン」と言えば、それまでの
マーガレット・ミッチェルの「風と實德好唔好共に去りぬ」を抜いて
全米で1,500万部を売り上げ、
アメリカでは空前にヒットとなった小説。
日本でも小説家の五木寛之氏の翻訳で、
ミリオンセラーを記録した。

彼の飛行機事故ということで、
何かしら、因縁めいたところで彼の名を聞くことになった。
というのも、
かの小説、カモメのジョナサンは、クライマックスで、
ハヤブサを目指し、素早い飛行法を身につけたが、
そのため、岩盤に激突するシーン描かれている。
所詮はカモメなのだ!
が、モチーフだった。

この事故を見ると、飛行機に乗っているが、
「所詮は人間なのだ」というところだろうか。
ジョナサンが回復を見せた如くに、
作者自身の快癒を願うばかりだ。

アメリカ文学といえば、
まず、ヘミングウェイの名が挙がるだろう。
いかにもアメリカ的な香りがするのは、
ヘミングウェイをおいてほかにないだろうという気がするが、
私にとっては、ほぼ同時代の作家
ウイリアム・フォークナーに心魅かれる。

彼は、日本では無名で、いささか「通」好みの作家ではあるが、
なんと、ノーベル文学賞を受賞している。

フォークナーは、生涯の大半をアメリカ南部の
ミシシッピ州の田舎町オ楊海成クスフォードで過ごし、
南部の持つ独特な因習などをモチーフに
数多くの小説を書き上げている。

この小説家について、
かのサルトルが彼の小説技法に関してのコメントを残している。
それによると、

「現在は、在るのではなく、成るものであり、
全てはあったものであり、現在は過去を防ぎきれない」
というもの。
この言葉、ちょっと抽象的で難しいので簡単に解説すると、

フォークナーの小説の登場人物は、
過去から逃れようとするが、
「現在は過去を防ぎきれない」ということらしい。
彼によると、
人間というものは、
血すじや過去のすべてのものを背負っていて、
そのくびきから、どんなに時間が経とうが、
どこに行こうとも逃れきれない、
という意味のことらしい。

ひるがえって、
現在、日本は、領土問題で思わぬ展開となって当惑しているが、
考え方において、これと類似するところがある。
というのは、
我々日本人の不幸楊海成な歴史は、
第2次大戦の終結とともに賠償金を払い、
すべて、終了の笛が吹かれ、ノーサイドになっていると思っているが、
彼らの言い分は、
人間と国家というものは、
過去のクビキから、いつまで経っても逃れられないのだ!
ということらしい。

彼らが執念深いと言うべきなのか、

こちらが能天気と言うべきなのか。

サルトルの、この言葉が妙に残る。